旧暦の七夕

新暦は「太陽」、旧暦は「太陽と月」を基準とした暦で日本では明治以降新暦が使われてきました。

旧暦は新暦より、日程が一か月ほど遅れます。

新暦の七夕は梅雨の時期で星が見られないことも多いのですが旧暦では晴天に恵まれることが多く、星の高度も上がり天の川がきれいに見えるので最近では8月に七夕を行う地域も多くあります。

万松寺でも数年前から旧暦を見直し、七夕は毎年旧暦で行っております。


七夕の歴史と由来

願いを込めた短冊を笹に飾り、お願い事を星にお祈りする。そんな現代の皆さんに親しみのある七夕になるまでのルーツを紹介します。

日本古来の七夕

奈良時代以前日本では七夕の時期には今日でいう「迎え盆」に近い行事を行っていました。

明治時代に暦が旧暦から新暦へと移り、七夕は新暦へ、お盆は旧暦のまま新暦の8月15日になりました。
もともとはお盆の前に七夕は行われ、精霊棚に笹やお供え物を飾って先祖の霊を迎えていました。

中国の七夕と日本の七夕

奈良時代に「七夕 シチセキ」と呼ばれる中国の年中行事が伝わり、日本古来の「棚機タナバタ」と結びつきました。

中国では七夕には「乞功奠」(きっこうでん)という女の子の手芸や芸事の上達を祈願していました。

この「乞功奠」が元となり、お願い事をするようになりました。

現代の七夕

平安時代までは七夕は宮中行事として行われ、宮中の人々のみで行われる行事でした。
宮中では供え物をして星をながめ、お香をたいて、楽を奏で、詩歌を楽しみました。
江戸時代から七夕が五節句にとりこまれ、一般の人々のおまつりとして親しまれるようになりました。


七夕恋物語

織姫と彦星が1年に1度だけ会うことが許された日。-七夕-

天の川のほとりで天の神様の娘「織姫」は、毎日はた織りをしていました。
年頃になっても働いてばかりの織姫を心配して、天の神様は結婚相手を探すことにしました。

そして、天の川の向こう岸に住む働き者な牛飼いの彦星を見つけ、織姫と引き合わせると二人は一目で恋に落ち、夫婦となることを決めました。
二人は恋に夢中になり、全く仕事をしません。

何度注意しても聞こうとしない二人に天の神様は怒り、天の川の両岸に引き離しました。
二人は悲しみに暮れ何も手につかなくなってしまい、その様子を哀れに思った天の神様は、「以前のようにきちんと働くならば」という約束のもと、一年に一度だけ七夕の日に会うことを許しました。
織姫と彦星は再会を許された七夕を待ち焦がれ、天の川の両岸で瞬いています。