万松寺では信秀公の命日にあたる3月3日に追善法要を執り行っております

信秀忌 のぶひでき

平成30年3月3日(土)午前11時〜

毎年、万松寺では信秀公の命日にあたる3月3日に追善法要を執り行っております。
一般の方も法要や式典へのご参列、幸若舞奉納をご鑑賞いただけます。(無料)

本年は、本堂にて茶道有楽流宗家17代目家元による献茶の後に追善法要を執り行い、本堂前にて信秀公墓碑の移建立の完成式典を行います。その後イベントスペースにて、信長幸若舞保存会による幸若舞奉納を執り行います。

信秀公追善法要

信秀公追善法要
織田信秀公

永正8年(1511年)、尾張国の勝幡城主織田信定の嫡男として生を受けました。
幼い頃から英知に優れていた信秀公は、弱冠17歳で家督を継ぎ、織田一族の壮絶な内紛を制して尾張一円を領した後、革新的な政策で尾張地区の商業を大きく発展させました。また周辺諸国からは「尾張の虎」と呼ばれた猛将で、東は駿河の今川氏親、西は美濃の斎藤道三との合戦を重ねながら領土を拡大させるなど、息子信長が後に天下布武を推し進める礎を築き上げました。
天文21年(1552年)3月3日、病によって死去した信秀公は万松寺で盛大な葬儀が行われた後、同寺境内に埋葬されました。

茶道有楽流 家元による献茶

有楽流 家元による献茶
茶道 有楽流宗家

茶道有楽流(うらくりゅう)は、織田信長の実弟織田長益(有楽斎)に始まる茶道の流派の一つです。
かつては御家流と呼ばれ、千家をはじめとした町衆の茶の湯が柔らかな身のこなしであるのに対し、武家の茶である有楽流は、きりりとした構えが特徴的と言われています。現在は四男・長政の系統の芝村織田家を宗家として有楽流が受け継がれ、法要では十七代家元 織田宗裕(おだそうゆう)による献茶が執り行われます。
織田長益(有楽斎)は、信秀の十一男(信長の実弟)で茶道有楽流の創始者です。茶の湯の創成期に尾張が生んだ大茶匠で剃髪後は有楽斎如庵と号しました。千利休に茶道を学び、利休十哲の一人にも数えられています。京都建仁寺の正伝院を再興し、ここに立てた茶室如庵は国宝に指定され、現在は愛知県犬山市に移築されています。

信秀公墓碑

信秀公墓碑移建立

信秀公の墓碑は万松寺境内に建立され、地元の方々や歴史ファンの皆様に長年親しまれていましたが、老朽化した諸堂を立て直すため、2015年に惜しまれつつ撤去されました。
この度、信秀公の祥月命日でもある3月3日に念願の墓碑移建立完成の日を迎える運びとなりました。

幸若舞奉納

幸若舞奉納
幸若舞

幸若舞は、室町時代に流行した語りを伴う曲舞(くせまい)の一種。能や歌舞伎の原型ともいわれています。
桶狭間の戦い前夜、今川義元軍の尾張侵攻を聞き、清洲城の信長は、「敦盛」の一節を謡い舞い、陣貝を吹かせた上で具足を着け、立ったまま湯漬を食したあと甲冑を着けて出陣したといわれています。
また万松寺の本堂に設置されたからくり人形「信長」の第二場でもこの舞を再現しています。
平成7年(1995年)9月に発足した「信長幸若舞保存会」による幸若舞は能楽師 福井四郎兵衛によって新調されたもので、歴史的芸能である幸若舞に新しい息吹を吹き込み紡ぎ出した「信長の幸若舞」を演じます。

信秀公墓碑移建立記念 金墨書(御朱印)

信秀公の墓碑移建立を記念し、金墨書(御朱印)を授与いたします。
※平成30年3月3日 1日限り、祈祷受処にて承ります。(9:00~20:00)
信秀公墓碑移建立記念 金墨書(御朱印)

信秀公墓碑移建立 ご寄進のお願い

今後も、多くの皆様にお参りいただき、信秀公の遺徳を末永く後世に伝えてまいりたいと存じます。墓碑移建立の趣旨にご賛同いただき、ご寄進を賜りたくお願い申し上げます。

万松寺について

万松寺は天文九年(1540年)に織田信秀公(信長の父)が、織田家の菩提寺として開基した寺院です。

●万松寺公式サイト萬松寺

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